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2009-12-30, 16:00 by maruyama

 数年前、ある仕事の検討会で、10万円ほどの計測機器の予算を審議しました。
 その仕事が上手く行かないのは、ペーハー計などの計測機器が無かったからだ、との説明でした。
 私は、(たった)10万円の機器を買うことで、その仕事が上手く行くのかと、何度もしつこく質問しました。
 担当の課長は、それで上手く行く、と主張するのです。
 私は、実際に遣っている現場を見ていないので、なんとも言えないが、現場の人の力量が劣っているのじゃないか、先進地区に行って、勉強するほうが先じゃないかと、追求しました。
 10万円ほどの計測機器があれば、上手く行くという説明に、私は納得できませんでした。
 その後、その仕事が上手く行ったのかどうか、確認していません。


 南原のコンビニが、自宅から一番近いこともあり、時々利用しています。
 数年前から、お正月のおせちは、此処の三段重ねと決めていました。
 今年は、何処か違う所のものにしようかと迷っていました。
 11月はじめ、オーナーから、今年も宜しく、とありましたが、。
 何度も通うあいだ、顔見知りの店員からも、オーナーの息子さんからも、今年も宜しく、と何度も言われていました。
12月20日頃、期限切れになっても困るとの感覚から、お願いすることにしました。
 オーナーは何度もお礼を言いました。
 翌日、ほかの用で立ち寄りましたら、女性店員がお礼を言いました。
 数日後、お買い物に行きました。
 息子さんが「有難うございました」と挨拶されました。

 、、、今、、ご主人が納品に来られました。
 蜜柑を一袋、お土産につけて、、。
 

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500円の賞金
2009-11-15, 23:27 by maruyama

 56年前の事を思い出しました。
 18歳で浪人していた時です。
 その頃の楽しみはラジオ放送です。
 お昼休みの時間、タイトルは覚えていないのですが、三木 鶏郎の「冗談音楽」だったか?塙肇だったか?ですが、駄洒落のようなものを募集していて、採用されると賞金が500円でした。
 一寸思いついたことがあり、葉書に書いて投稿しました。
 本名では恥ずかしいとの感覚もあり、ペンネームを考えました。
 須坂の地名は、墨坂からという説が専らでしたから、「墨坂久雄」としました。
 投稿して一週間後のお昼の放送で「長野県須坂市の墨坂久雄さんの作品?で、、」と放送されました。
 それから一ヵ月後、現金封筒が届きました。 
 家には私一人しかいない時に届いたのです。
 中身は賞金の500円です。
 受領確認の返信用郵便はがきが同封されていました。
 印鑑を押す欄があります。
 マジメな私は、サインだけで返送することが出来ません。
 中町に伊藤一心堂というハンコ屋さんが在りました。 
 「墨坂」というハンコを注文しました。200円でした。
 ハンコが出来てきましたので、押して、NHKに返送しました。
 「墨坂」というハンコは、私専用の箪笥の隅に永く転がっていました。

 この話は今始めて話すことです。
 末は博士か大臣か、、と言う時代の話です。

 高校一年のとき、藤沢先生の作文の時間に、一番良くできたと褒められ、学校新聞に載せるというのです。
 母の実家の松代町(当時、現長野市松代町)で、玄関の木戸の横に穴を掘り、死んだ蟹を埋めた話です。先程まで動き回っていた蟹が、死んで動かなくなったことに、何と無く無常を感じた作文でした。
 楽しみにしていましたら、その原稿を先生が無くしたと言うのです。
 新聞部からは原稿用紙2枚程度の作文を直ぐ出せと言ってきました。
 同じ様な物を書くことが出来ず、一寸違った角度の文章を渡しましたら、高校新聞に載りました。今読み返したら顔が赤くなる内容です。

 こんな事もあり、自分は小説家になりたいと、夢を描いていた時もありました。
 身の程も知らぬ若い頃の話です。

 当時の500円は結構大金でした。
 ハンコ代を払った残りの300円を何に使ったか、覚えていません。
 味をしめて、その直後、二度投稿しましたが、採用はされませんでした。
 葉書が5円の時代ですから今の5千円。
 実際は1万円以上の値打ちだったかも?です。

 数年前の話です。
 須坂市の「岩波講座」に、脚本家で「尺貫法」の闘争をした永 六輔さんが来られ、その時代のその番組で認められてレギュラーになった話を聞き、大変懐かしく思った次第です。

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笠鉾・諫鼓鶏(かんこどり)
2009-11-07, 14:46 by maruyama

 「本上町の笠鉾について」
 十数年前のことです。当時の区長梅本芳夫さんから、本上町の笠鉾の由来をお聞きしました。
 中国のある王様が、門の前に太鼓を置き、私の行う政治に不満のある者はこの太鼓を鳴らせと言われ、以来これを「諫鼓(かんこ)」と呼びました。
 国民の不満はなく、「諫鼓」を鳴らす者が居なかった為、鶏が飛んできて「諫鼓の上」に巣を作ったと言います。
 「諫鼓鶏」は平和のシンボルです。と言うのが梅本さんの説明でした。
その後、笠鉾会館が出来たので見学に行きましたら「軍事の時に鳴らす太鼓の中に鶏が巣を作った」と書かれていました。
 全国にある「諫鼓鶏」の資料を調べましたら、梅本さんの言われたことが正しいと感じ、須坂市の笠鉾会館の説明書の「訂正」を求めたいと思います。

 閑な店を「カンコドリが鳴く」と言います。このカンコドリは「閑古鳥」と書き「カッコウ」のことです。古来日本人はカッコウの鳴き声に物悲しさを感じてたようであり、芭蕉の句に「憂き我を淋しがらせよ閑古鳥」とあります。
 また、ホトトギスを時鳥・不如帰、、の他に「郭公」と書くことから、これをカッコウと誤って読まれたものと考えられます。

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私の欲しい「コンパクトシティ」
2009-10-20, 14:53 by maruyama

 今朝車で家を出て、文房具屋、銀行、郵便局、カメラ屋、コンビニを回ってきました。

 今から15年ほど前、須坂市の21世紀を考える会で、須坂市の中心地に、地下を駐車場と食品スーパー、1階は広場、2階に市役所の出先と銀行・郵便局・レストラン・商店。3階に博物館や映画館、4階にはパチンコ屋が在っても良く、、5階は病院で、、上層階はマンションという所謂「コンパクトシティ」を提案しました。
 ポリシーは「分散から集中へ」というものでした。

 今になってみても、この主張は正しかったと思います。
 一つ欲を言えば、何時でも入れる温泉も欲しいですね。

 こういう「新しい町」が出来れば、きっと人が集ります。

 最近、車で動き回っていて思うことは、お隣の中野市の「ジャスコ」の大きさが気に入っているので、あの上なり隣りにマンションが出来て、病院があり、銀行・郵便局があり、温泉もあれば、、そのマンションにに引越したいと思う、、。
 車の運転もおぼつかなくなった時の事を思う時、雨の日、雪の日、安心して歩いて動ける範囲内に、生活に必要な総ての店舗・施設と居室が、ひとかたまりになっていてくれると、この上もなく便利で有り難い。

 このような、私が欲しいと思う「コンパクトシティ」を考えている市町村の情報が欲しい所です。

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街中ウオーキング
2009-09-24, 21:53 by maruyama

  新潟県の十日町で二日間滞在して、付近の温泉巡りをしてきました。
 泊ったビジネスホテルの真ん前の大通りのフェンスに「街中ウォーキング」のおきな垂れ幕が掛っていました。
 聞きますと、市内のあるグループが中心になって提唱し、市内を皆で歩くという運動でした。
 十日町は雪国ですから、中心市街の歩道は昔の「雁木」の替わりの雪除けの屋根があり、夜9時過ぎまで蛍光灯が足元を明るく照らし、ラジオの放送も流れています。
 安心して散歩が出来ます。
 目標は赤道一周の4千キロを目指すとしているとあり、目下の達成率はこういう数字だと書かれていました。
 「キナーレ」という道の駅で参加表にスタンプを押して貰うシステムでした。

 そこで、須坂に戻った私は、昨夜から思い立って、夜8時過ぎ、蛍光タスキを肩に掛け、30分ほどの散歩に出かけました。
 自宅付近は真っ暗で人の姿は殆んどありません。
 勝善寺の前を下り、須坂病院前を通り、西友を覗いて帰って来ました。
 途中「延命地蔵」があり、此処を通ると健康になるなと思いました。

 一日30分以上歩きなさい、其れもなるべく早く、と言われた事を思い出しました。
 何しろ根性の無い私ですから、何日続くか見ものです。

 決ったコースがコースが定着し、仲間も増えれば楽しいでしょう。
 車の少ない安全な通りを選んで歩きます。

 8年ほど前は、朝7時に家を出て、龍ヶ池を一回りするウォーキングでしたが、3年ほどで止めた経験があり、我ながら長く続ける自信は無いのです。
 こうして「決心」を公表して、自分に鞭を入れたい次第です。
 

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Hisao Maruyama